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自分の感受性くらい、自分で守れ、ばかものよ。

【連載コラム「国際保健と私」Vol. 4】

こんにちは。jaih-s運営委員の船戸真史(長崎大学医学部6年)です。
4月を持ちまして、3年と半年関わり続けた、jaih-sを卒業することになりました。

今は日本を離れ、オランダのLeiden大学感染症科にて、臨床実習を行っています。
東日本大震災のことは本当に気がかりで、国内での感覚が薄れていることに、もどかしさは募るばかりです。

だからこうして自分の経験を書くことは、時期柄多少気が引ける思いもあります。
しかし一つの節目を迎え、海外で日本を客観的に捉えられる機会でもある今、「国際保健と私」というテーマで振り返ってみることは、少なからず現状と無関係ではないだろうと思い、担当させて頂きます。

まさかの四篇になりました。集中できる所まで結構ですので、ご覧ください。

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【第一部:サブリミナル幼少時代】
-なぜ、小児科医になりたいか?なぜ、国際保健がしたいのか?-

記憶の限り、医師の最初の印象は「弁護士の次にお金がもらえる」仕事。
よく遊んだ人生ゲームで、弁護士が30,000$、医者が25,000$だったからです。
だから6才時の将来の夢は「弁護士」でした。現金なボク。

それを買い与えた母は僕に毎日、
「途上国ではこれだけの食事もとれない子がいるのだから、残してはいけません」
と言い、レタスを残そうとする僕を食卓に縛り付けました。

父はドキュメンタリー番組が好きでした。
チャンネル権のない僕は訳も分からないまま、世界紀行モノとか、アジアのスラム生活を描いた番組をみる日が多くありました。

小学6年生の時、これまた母が図書館から借りてきたブラックジャックを読み始めて、一気に医者に対する好奇心が湧きました。

一方で何かと小さい子の面倒を見たがった自分。
あまり理由にしたくないけど、兄弟がいない事もあるかもしれないかな。
中学社会の職場体験で、半田市民病院と布土保育園に行きました。
それは楽しくて、楽しくて。保育士になることを真剣に考えました。

…ということで、海外在住経験もなければ、家族親戚は医療関係者でもなく、
人生18年間、知多半島内で完結する、ど田舎生活。

これまで幾度と無く友人と、心の中の自分と、問答を繰り返したはずなのに、
小見出し2点のWhy?に対して、崇高で主体的な理由なぞ、全く出てきません。

…いわばサブリミナル幼少時代??

僕にとって原点は、荒削りでも光り輝く可能性を秘めた原石のようではなくて、
見えるか見えないかをフワフワする飴をかき回して寄せ集めたような、ワタガシに近い存在です。

でも、よく考えたら、原点に崇高も下衆も、主体も受動も存在しないのかもしれません。

あの時TV越しに煉瓦運びの少年がつぶやいた「将来は医師になりたい」の言葉。
その瞬間ふと沸き出た「人の役に立ちたい」「世界のために何かしたい」という思いは、
確かに僕から滲み出てきたもので、今も誇らしい程、全く変わっていないですから。

ところで皆さんは、どうして国際保健がしたいのですか??
良かったら、教えてくださいね。


【第二部:頭熱足熱10代】
-多くの人にm(_ _)mゴメンナサイ-

小児科になり、国際保健の現場に出る―――

医学部に入ることを最優先に国際協力に繋がる大学を探していた高3の夏休み直前、
長崎大学熱帯医学研究所(以下「熱研」)」という単語がPCのディスプレイに飛び込んで来ました。

夏休み2日目、僕は熱研の門を叩いていました。何も知らないまま。
オープンキャンパスとは関係なく、無謀にも電話アポをとって、
愛知-長崎往復12時間、滞在2時間の日帰り見学でした。
こうして僕の受験大学は決まりました。
あの時相手をしてくれたバングラデシュのDr、「カステラは福砂屋」と教えてくれた当時大学院生の山口さん、本当に有難うございます。そして…

忙しい中本当にm(_ _)mゴメンナサイ

無事入学してからは、とにかく熱研に足を突っ込んでみる生活。
当時は「国際保健=国境なき医師団かJOCV(青年海外協力隊)」の図式しか脳内に無かった僕。

1年次に熱研のVietnam拠点(国立衛生学研究所:NIHE)ににお邪魔して、東南アジアの雰囲気を存分に味わい、学生身分をいいことにJICAベトナム事務所もアポなしで訪問。ホアビン省プロジェクトサイトや、JOCV(青年海外協力隊)の方々との懇親会、バックマイ病院の見学まで経験をさせて頂きました。
当時親切に応対して下さったJICA職員の皆様…

忙しい中本当にm(_ _)mゴメンナサイ

(バックマイ病院にて)
振り返れば、なんと単純な思考回路でしょうか。
多くの方を巻き込んで、迷惑をかけてしまいました。
こうしてブログ上で贖罪しようとしている僕をどうかお許し下さい。

しかしそれは同時に、国際保健は
「多種多様な世界であり、時間と労力がかかり、そしてジブン史上最高に楽しい分野」
であるという教訓を、僕の五感に刻みつけてくれた経験でした。
今後の行動で、少しずつ世界に恩返ししていけたらと思います。


【第三部:jaih-sとの出会い】
-20年後、世界のどこかで逢いましょう-

1年生の10月にjaih-sに出会いました。日本国際保健医療学会が、偶然長崎で開催されたのです。
ここから一気に自分の学生生活が変わりました。

全国から集まりWHOインターンを発表する学生、開発経済を真剣に学ぶ学生、英語とフランス語を学んだから次は何語にしようか?と語る(僕にとっては)クレイジーな人々を目の前にして、自分の目を疑いました。「彼らは同じ学生なのか…?」と。

迷わずjaih-sに足を踏み入れる向こう見ずさは、やはり10代だったからでしょう…。
運営委員になってからの3年間半は、本当に早いものでした。本来ここを最大限紙面(Web面?)を割くべきかもしれません。が、
勉強・部活・プライベートとの両立のつらさ、心から尊敬できる先生と友に出会えた嬉しさなんて、とてもじゃないけれど、よそ行きの文章に仕立て上げる力ございません。
とほほ。

だから、完結に。

学会の先生方からは…
今世界で起きている現状と、そこに立ち向かうための知識と、経験と、情熱と、ネットワークと、飲ミニケーションを学びました。仲佐先生をはじめ、感謝してもし切れません。

・500名を優に超える全国の運営委員、参加者の皆さんからは…
異なる価値観と経験から刺激を、沢山の企画運営を通じて思い出を、そして「いつか世界のどこかでまた出会うだろう、共に働くだろう」という確信を得た喜びをもらいました。

・毎週のように行われるミーティングや膨大なメールのやりとりは…
ブラインドタッチとウェブ関連テク、企画運営報告のマネジメント、コミュニケーションとファシリテーション、リーダーシップとチームワークを僕に与えてくれました。
(もちろん、完璧からは遠く。期限厳守とか報連相なんて、出来なさ過ぎて情け無い)

そんな、3年半でした。
(運営委員と共に)
【第四部:これから】
-ヘルスシステムと、地域医療と、自己実現-

愛知県美浜町、長崎大学、jaih-sでの経験を軸にしながら、
自身の近将来ビジョンをオリエントするような手がかりを、幾つか得ることができました。

①ヘルスシステム
3年次、熱研やチャイルドドクターにお世話になり、KenyaでHIVクリニックの見学、Suba地区にて微生物調査、疫学調査を夏・冬に1ヶ月ずつ行わせてもらいました。
(診療所の様子)
(アンケート調査の様子)


印象的だったのは子供たちの笑顔!かと思いきや、
SPSS(統計ソフト)やアンケートで現状を正確に把握する難しさ(疫学)であり、
医療物資を正確に運び、保存し、配分する必要性(ロジ)であり、
大統領選後の混乱がもたらした政治的不安定さ(政治・政策)でありました。

また、武田薬品工業CSR部の金田晃一さん武見敬三先生、井上肇先生を講演に招いたお話をきっかけにして、国際保健分野の新しいアクターやフレーム(CSR、社会企業、官民連携、GF)に対して関心が高まりました。そしてかつ日本の国益とノウハウをどうやって噛ませていくのか(安全保障や、人口増加問題、慢性疾患のマネジメント)ということにも面白さを感じておいます。

全てを「ヘルスシステム」一言で形容するには対象の守備範囲が広すぎますが、
これらをうまく調整するような職業を体験したいと感じています。


②地域医療
長崎の上五島病院、佐久総合病院、そして故郷の知多厚生病院を見学して、
人々の中に入り、飲み、語り、食べ、感じながら、それぞれの地域が抱える問題を目の当たりにしてきました。
上五島病院にて
佐久の風景

ここで気づいた地域医療の魅力は、突き詰めれば人と土地の魅力に他なりません。
地域で働く先生が一様に口にする「国際保健と地域医療は共通する」という言葉は、将来の地域医療問題、国際保健問題解決に向けて、一筋の光を見た気分です。

③自己実現
これまでのVietnam、Kenya今回オランダのように、短期間ながら海外で生活する生活を経験するにつけ、自分はつくづく弱く、一人では到底生きていけない小さな人間であると再確認しました。それは、
「自分一人で世界を変えてみたい」

という、大学2年頃まで背負っていた気概とは正反対の感情でした。
使命と現実に揺れる瞬間はしばしばありますが、

「好きな人と結婚して幸せな家庭を築くこと」
「お世話になった故郷に帰り、暮らし、恩返しをすること」
「ここまで育ててくれた両親に親孝行をすること。介護して死に目に寄り添うこと」

この3点は「世界の人々の健康に資す」と使命感とは距離を保ってパラレルにいつまでも存在して消えることはないでしょう。


以上①~③をどう納得させながら、生きて行くのでしょうか。
きっと出会った人、出会う人達の支えで、成るようになっていくでしょう。

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以上、つらつらと書いていたら、もう現地時間で3時を過ぎてしまいました。

現実に頭を切り替えてみると…

僕はオランダへ医学英語の訓練と、MRSA感染症対策を学びに来ています。
(オランダ感染症対策について詳細は、個人のブログを参考にして下さい。)

今後どのように学びを進めていくべきか、目で確かめると共に、先生方に話を伺ってきました。

夢に一歩ずつ近付いている気がする一方で、
被災地にて汗水流してボランティア活動を行う運営委員がいることに、幼き自分が思い描いていたような原点がフラッシュバックして重なり、葛藤します。

悩む日は当分、続きそうですが、好きな茨木のり子さんの言葉。

「自分の感受性くらい、自分で守れ、ばか者よ」

を復誦して、今回の連載を終えることにします。

拙い長文に最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。

jaih-s 船戸真史
Kenyaのキベラスラムで出会った子