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29.1.11

なぜ国際保健???

【連載コラム「国際保健と私」Vol. 2】

こんにちは。6期前半(2010年10月~2011年3月)広報班の伊東と申します。山下に
続き「国際保健と私」というテーマで、いちjaih-s運営委員がどのような経緯から、
国際保健という分野に興味を持ち、こうして関わっているのか、自分の考えを稚拙な
文章となってしまいますが、みなさんに伝えていきたいと思います。

普段の大学生活や部活動では国際保健に興味のない人に囲まれることが多く、
「なぜ国際協力、国際保健をやるのか?」と疑問を持たれることがあります。その理由
に説得力を持たせるには、多くの人にとっては、個人の利益につなげるのが分かり
やすいのかもしれません。例えば、

・鳥インフルエンザなど様々なグローバル化した問題は世界全体での対応が必要。
・発展途上国の生活水準を上げ、安定性を確立することで、日本企業にとっての
安定したマーケットを発展途上国の中に開発できる。
・国連での票獲得や、自然資源獲得のための政治的な理由で恩を売るため。
・満たされた人は不満を持ちにくく、国際テロの防止につながるため。

などなどが挙げられます。これらの項目も重要な目標となり得ますし、達成のための
戦略的なアプローチが必要と言えるでしょう。しかし、個人的な自分が国際保健に
関わる理由の根底にあるものは、これらの個人の直結した利益ではなく、「そこに
生理的に受け入れられない不平等があるから」というものです。

「どこに産まれたのかという偶然によって、土を食べなければならないような人生
になるのか、吐いて捨てるほど食事ができる人生になるのか決まるなんて、そんな
不条理、生理的に受け入れられない。」

この言葉は卒業した大学のOGでJICAに勤めている方がおっしゃっていた言葉で
あり、自分の信条のひとつです。ここには、人類を平等にとらえる思想があります。
個人の利益のみに興味のある人や、逆に人類全体に価値をおかない人にとっては
無意味な信条かもしれません。

しかし、自分は東南アジアを旅行し、ナイジェリアで2年間過ごした中で、病気に
なったら一家路頭に迷うしかない人達や、物乞いをして生活せざるを得ない数多くの
人達と出会い、それに対する日本人という自分の安定が保証されたバックグラウンド
を強く実感し、その差に大きな不条理、違和感を覚えるのです。

学校にて歴史を学ぶ中で、先進国による奴隷はひどい制度だと思い、貴族制は
不平等だと教わることでしょう。しかし、現代であっても、先進国に産まれた貴族と、
発展途上国に産まれた、チャンスの与えられていない人々という不平等の構造は
根強く存在していると言えるのです。

先進国に産まれたことは不可抗力であってそのこと自体に罪があるとまでは思い
ません。ですが、先進国の人には圧倒的な経済的強さがあり、現実を大きく変える力
があります。不平等は是正すべき課題と感じる心があるのであれば、何らかしら人生
の中で行動を起こすべきではないでしょうか。

このような信条に基づいて、発展途上国のために何ができるか考えてきた自分の
人生なのですが、実際、発展途上国の人と接する中で、何が彼らにとって幸福なのか
分からなくなることもあります。

例えば、電気のない生活でも幸福は得られるし、車を買える経済力が必ずしもいい
わけでもない。先進国の生活を押し付けることが、逆にこれまで上手くいっていた
文化を壊し、不幸を引き起こすこともあります。

何が発展途上国の人のためになるのか分からなくなっていく中で、間違いない
普遍的な価値観とは何か考え、究極的なところ、「健康で元気であること」が挙げ
られるのではないかと思い、自分の人生を、平等に健康が手に入る世界をつくることに
少しでも貢献することに費やそうと、志を持つに到りました。

どういう価値観に基づいて、自分の人生を何に費やしていくか、人によって千差万別
だとは思いますが、自分のように考えて国際保健に関わろうとする人もいる。そのことに
少しでも理解をこのブログを読んで得てもらえれば幸いです。

最後まで読んでいただいた方には、稚拙な長文にお付き合いいただきまして、
ありがとうございました。






















(写真は、ブルキナファソの子どもたち)

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